尾張徳川家との関わり 美濃高須藩松平家について
美濃高須藩松平家は美濃、尾張、伊勢(桑名)の境にあり、石高三万石の小藩でしたが、御三家を除けば将軍家筆頭家門の家柄で、江戸城における格式も大大名と同格でありました。
これには理由があり、将軍家に跡継ぎが無い場合は、尾張家か紀州家が入ることになっていましたが、そこに適当な人が無い場合には高須松平家から尾張家に入り、そこから将軍家へ入るという将軍家の「おひかえ」の家柄であったからです。
また、尾張藩主に後継者が絶えた場合にも相続人を出す家柄であることから、尾張藩第8代宗勝(むねかつ)、第9代宗睦(むねむつ)、第14代慶勝(よしかつ)、第15代茂徳(もちなが)は高須藩松平家の出身でした。
幕末から明治維新にかけて大きな役割を担い歴史に名を残した、尾張藩主徳川慶勝(よしかつ)、徳川茂徳(もちなが)、会津藩主松平容保(かたもり)、桑名藩主松平定敬(さだあき)公は美濃高須藩松平家出身の四兄弟です。
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小書院
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歴代藩主墓所(現在は公開致しておりません)
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高須四兄弟:松平定敬,松平容保,松平義比,徳川慶勝 岐阜県海津市歴史民族資料館でご覧頂けます。