◆行基寺について◆

臥龍山行基寺は奈良時代に行基菩薩が開山し入寂されたと伝わる寺院で行基塚と板碑が残っております。

徳川時代には尾張藩62万石の血筋を絶やさぬため尾張藩二代藩主の徳川光友公の次男である松平義行公が美濃高須藩主となり当寺院を再建し菩提寺とされました。

高須藩松平家の石高は3万石と小さくとも、江戸城における格式は甚だ高く徳川御三家、御三卿に次ぐ名門であったといわれています。 尾張藩歴代17藩主のうち4代(8代宗勝,9代宗睦,14代慶勝,15代茂徳)は高須藩松平家の出身なのです。

また、高須藩10代藩主義建公においては二男が尾張藩主徳川慶勝、五男義比は高須藩主となったのち尾張宗家を継いで尾張茂徳となり、七男が会津藩主松平容保、九男は伊勢桑名藩主松平定敬に、十男義勇が高須藩主となっており、日本の幕末史に欠く事が出来ない人物たちを送り出しています。

明治維新に至る200年の間は一般庶民の登山参詣は禁止されておりましたが、現在では日本全国より多くの方々に参詣頂いており、岐阜県の西濃エリアの観光スポットとなっています。

当寺院には、自然の岩肌を活かした枯山水の庭園、苔庭奥の岩肌を伝って落ちる滝水、書院からの濃尾平野一帯のパノラマ眺望などがあり、ここでしか味わえないゆったりとした時の流れを感じていただくことができると思います。


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